2008年11月10日は、CEPL(クーリエ・急送便・小包・ロジスティクス)の歴史に残る日となろう。この日、「DHLは2009年1月30日をもって、米国国内市場から撤退する」と発表された。2003年以来75億ユーロのコスト・損失を出し、CEPL産業における最も高価な「冒険」は終息した。DHLの米国急送便市場からの劇的な撤退は、今年の国際急送便産業における最大の事件とも形容される。撤退によって1万人以上の従業員が職を失い、世界で最も大きな急送便・小包市場の競争環境を変化させ、DHLエクスプレスの戦略再構築につながった。 1990年代の後半から、クラウス・ツムヴィンケル前CEOの下、ドイツポストワールドネットは、世界最大のCEPL事業者として、多国籍企業に「ワンストップ・ショッピング」を提供するという戦略を立て、類を見ない規模で全世界的な拡大を行った。この拡大のコーナーストーンは、UPSとFedExとの競争に打ち勝つべく、2003年米国第3位の急送便企業であるエアボーン・エクスプレスを10億ドルで買収したことであった。DHLエクスプレスは、さらに12億ドルを投資し、航空と地上のハブと拠点を作り、全国的なネットワークの建設を計った。3億ドルをかけ、2005年オハイオ州ウィルミントン飛行場を米国のハブとしたのも、この計画の一つである。
しかし実際にはこの戦略は最初から失敗していた。2002年エアボーン・エクスプレスは、米国国内市場で19%のシェアを持ち、3億5600万個の小包を配達していた。2004年DHLがエアボーンを完全に統合して1年目、DHLのシェアは7%だった。43億2700万ユーロの収入に対し、4億9500万ユーロの営業損失を出した。2005年DHLは米国市場で4億5200万個(1日の取扱量170万個)を取り扱い、(収入ベースで)9%のシェアを標榜した。しかしその後、DHLエクスプレスUSAの損失は毎年劇的に増加していった。ビジネスは、ウィルミントン・ハブの開港に関わる運営上の問題、品質管理上の問題、さらに最近の米国経済の悪化に直撃された。2007年DHLエクスプレスUSAの営業損失は10億ドルだったが、2008年は15億ドルと予想されている。現在の1日の取扱量は120万個であり、2005年より30%減少している。
2008年5月28日フランク・アペルがドイツポストワールドネットの新しいCEOに就任し、ハンドブレーキを引いた。彼とDHLエクスプレスのCEOであるジョン・マレンは、20億ドルに上るリストラプログラムを発表し、2011年には損失を3億ドルまでに切り詰めるとした。計画の骨子は、1万8000人のDHLエクスプレスUSAの職員を1500~1800人削減し、グラウンドネットワークをダウンサイジングし、米国内の航空輸送をUPSに100億ドルで委託し、約8000人の職員削減と共にウィルミントン・ハブを閉鎖するというものであった。
しかしこのリストラ案は米国内で政治問題となり、UPSは身を引き始めた。しかも米国の経済危機と米国におけるDHLブランドの急速なイメージ悪化は、ここ数ヶ月DHLのビジネスを更に直撃し、先のリストラ計画では建て直しは不可能となった。それゆえ、11月10日DHLエクスプレスは、1月30日をもって米国の国内オペレーションからは撤退し、米国差し立て・到着の国際急送サービスのみに特化することを決定したのだ。
この間、UPS、FedEx、USPS(郵便公社)は、米国におけるDHLエクスプレスの顧客を獲得すべくウェブサイトなどでキャンペーンを張っている。
DHLエクスプレスのジョン・マレンCEOは、「米国に足場を持つことは、我々の全体としてのグローバル急送ネットワークにとって重要である。我々のトップ200顧客の約半分は米国を拠点としている」と語っている。2006年米国における国際CEP市場(46億ユーロ)のDHLエクスプレスのシェアは13%、FedExは34%、UPSは18%である。この分野におけるDHLのポジションは、他の地域ではもっと強い。2006年欧州における国際CEP市場(121億ユーロ)のDHLのシェアは24%、アジア太平洋地域における国際急送便市場(56億ユーロ)では34%との数字を誇っている。米国から撤退するDHLが他の地域で攻勢に出ることによって、今後この分野の競争が更に激化することは必至である。
(「CEPリサーチ」2008年11月14日号等から編集)
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